エリック・クラプトン

2009年11月20日 (金)

Listen to the Music!

オールレディ・フリー

  なんか最近は、前の原稿から間を開けてしまっては、その言い訳から始まってばっかりのような気がします。

 今回は、本業でかなり長いものを書く仕事がたまっておりまして。9月に病気にさえかからなければその仕事も余裕を持ってできたんですけれど。その病気の麻痺もまだ残ってますし… それでもそんな中、このサイトのお仕事も忘れてはいません。不良大学教授のハリー先生は本領発揮。

 ちょっと遅れましたがライブリポートをちゃんとやります。

 デレク・トラックス・バンドとドゥービー・ブラザーズのダブルヘッドライナー。

 もちろん、お目当ては後者なのですが。

 前座扱いではない、ちゃんと肩を並べていたデレクに関してもちゃんとリポートしますね。

「デレク・トラックス、1979年の68日、フロリダ州ジャクソンヴィル生まれ。
At Fillmore East

叔父はオールマン・ブラザーズ・バンドの結成時からのドラマー、ブッチ・トラックス。家ではいつもオールマンズのアルバムや、そのリーダーだったデュアン・オールマンが大きく貢献していたデレク&ザ・ドミノスの『レイラ』などがかかっていた。

Layla and Other Assorted Love Songs
もうおわかりのとおり、デレクという名前はクラプトンが70年代初頭に率いていた、その伝説的なグループからいただいたもの。」

実は小生、彼を一度、観ていたんですね。これもクラプトン絡み。3年前に観たクラプトンの、ヒット曲をあまり演らずデレク&ドミノスでのレパートリーなんかを中心に選曲していた日本縦断ツアー。クラプトンはその時、自分も含めてトリプルリードギターの構成でしたが、残った二人のうちの一人に、金髪の長髪で、若いのにすげー巧いやつがいるなと思って観ていたのがいたのですが、それがこのデレク・トラックスだったんですね。

なるほど、クラプトンが彼の腕を見込んだ上だというのも当然でしょうが、デレク&ドミノスつながり、サザンロックつながりだったのか、と今にして改めて納得。

「デレクはギターを、彼自身の言葉を借りれば、「身長がギターより小さかったころに」弾きはじめた。もちろん手も小さかったので、スライド・バーを使うようになったのは、そのハンディを克服するためでもあったらしい。
 やがて彼は、スライドでもレギュラー・プレイでもオープンEチューニングで弾きこなすというスタイルを確立した。愛器はギブソンSGとフェンダーのヴィンテージ・アンプ。エフェクター類には基本的に頼らない。
 スライド・バーは、デュアンが使っていたのと同じガラス製の薬ビン。ピックは使わない。そのきわめて個性的なフォーマットで、デレクは表情豊かなギターを弾きこなしている。」
 彼の曲はラジオで流れるようなタイプのものではなく、評価は高くともヒットがあるわけではないので、実は小生、彼のCDは聴いたことがなく、セットリストもいただけなかったので、詳細なリポートはできないのですが。

エフェクターを使わないというのには驚きでした。アンプだけであれだけいろいろな効果音を出しているのかと思うと驚異です。

世代のせいもあるでしょうが、サザンロックの匂いはあまり感じられませんでした。むしろインストもの中心、スライドギターと、エフェクターを使っているとしか思えない音色で、高中正義に近いものを感じました。

ドゥービーから、サックスのマーク・ルッソがずっと、ゲストでドラムスのエド・トスが一曲参加しました。

ジェフ・ベックとかデュアン・エディーとか、昔はギターだけで独り立ちしていたミュージシャンのスタイルがあったものですが、最近は見かけませんね。その伝統を一人になっても守っていくような、そんな気概を感じました。

さて、20分程度の休憩の後、お目当てのドゥービー。

3年前は夏フェスで来日して、去年はシカゴとダブルヘッドライナーでアメリカを縦断しました。そのシカゴはこの夏また、一番気の合うアース、ウィンド&ファイアとまわり、ドゥービーはレイナード・スキナード、38スペシャルらサザンロックの連中とツアーしたようです。デレクもその流れかな。

もうオリジナルメンバーはトム・ジョンストンとパット・シモンズしかいません。でもこの二人がいればそれで満足、って感じ。

あと古いメンバーだったら、「ミニット・バイ・ミニット」から参加したジョン・マクフィー。この人はギターが一番巧い上にいろんな楽器がこなせてしまう器用な人。音の要になっていました。あと、このバンドの特徴であるダブル・ドラムスの一端をかなり初期から担い続けてきたマイク・ホザック。

あとは、82年にいったん解散したあと、生き残りの相当部分が矢沢永吉のバックを勤めたりしましたがその時一緒に演ったキーボードのガイ・アリソンとか。

70年代中期からいたけれど残念ながら2005年に急逝してしまったキース・クヌードセンの後釜で入ったヴァーティカル・ホライズンのエド・トスとか、新しい人たちばかりですね。

ドゥービーのほうはセットリストをゲットしました。しかしこれはステージ上に貼り付けてあったもので、ステージに向かって一番左側にいたベースギターのスカイラーク(本名ではないでしょう。当然)が散々踏んづけたあとのもの。ローディーさんに頼み込んで剥がしてもらったものですからビニールテープの痕もくっきり、ビリビリだったのですが、小生が可能な限りの修復を施しました。なんてったってドゥービーのメモラビリアですから宝物です。

Doobie_set_list

みんな省略されて書かれているのでちょっと詳しく。

Stampede

1 Take Me in Your Arms (Rock Me) もともとホーランド-ドジャー-ホーランドのモータウンのソングライターチームが作って、60年代にアイズレー・ブラザースなんかが中ヒットさせたR&Bナンバーですけど、ドゥービーがアルバム「スタンピード」で75年に取り上げて有名になった。ライブでも景気づけの一発目として定着しています。

Toulouse Street

2 Jesus is Just Alright

72年彼らの人気を決定付けた「トゥールズ・ストリート」から。克也さんがZIP HOT 100を始めたばかりの95年にはDCトークというクリスチャン・ロックバンドがカバーしていました。ドゥービーのライブでは、ギターの音が上がるときに、ギターの3人プラスベースの一人の四人が並んでギターのヘッドを持ち上げるのがお決まりのパフォーマンスになってます。

Brotherhood

3              これはもともと一単語のタイトルですから省略なし。彼らは82年に一度解散しますが、89年に、トム・ジョンストンを迎えたオリジナルに近い編成で再結成(トムが78年からがグループを離れたのは健康上の理由となっていますが本当なんでしょうかねえ?ソロアルバムは出していましたし)。初期のロックっぽい音で戻ってきてくれて古いファンを涙させましたが、その際結成二枚目のアルバム “Brotherhood”からのヒット曲。91年。

4              Rockin’ Down the Highway

また名盤「トゥールズ・ストリート」から。この4曲あたりまでが景気づけで、ほとんどノンストップで演奏されました。

5              Double Dealing Four Flusher

「スタンピード」から。これはシングルヒットではないのですが、彼らは初期からライブとレコードは別物、と考えていた節があり、例えばこの曲は初期のライブで中盤のいいところで演奏されることがすごく多かったし、それは再結成後も受け継がれているということですね。

6              一語タイトルにつき省略なし。これも“Brotherhood”から。デレクがゲストで参加しました。

7              これは新曲です。タイトルは「・・・シャトウ」ともっと長かったかもしれませんがメモをなくしてしまいました。来年、新譜が出るそうです。「新しいCD,いや、最近はいろいろ形式があるからなんていえばいいのかねえ」とパット独特のオトボケMCで始まりました。やっぱり70年代初期の、そして再結成後のドゥービーの音だと感じました。

ワン・ステップ・クローサー-#紙ジャケSHM-CD#

8              One Step Closer

 80年の同じタイトルのアルバムから。実は、小生が今回の選曲で一番驚いたのはこれです。再結成後のライブでは、マイケル・マクドナルドがトムに取って代わって音作りの中心となりR&Bプラスオシャレロック色が強くなった、78年の「ミニット・バイ・ミニット」そしてこの「ワン・ステップ・クローサー」からの選曲は、当然歌う人がいないし、音の雰囲気も違うので極力避けられていたのですが、サービスの意味もあってやったのでしょう。この曲はパットとマイケルの共作曲でもあり、権利もあるのでやりやすかったこともあるでしょう。しかし面白いことに、レコードではマイケルがリードヴォーカルをとっていた部分をパットが歌い、パットがリードヴォーカルをとっていた部分をスカイラークが歌っていました。

ドゥービー・ストリート-#紙ジャケSHM-CD#

9              Takin’ It to the Streets

76年の同名アルバムから。これもマイケルの曲で、それ以降のドゥービーの音が、シンセサイザー中心になっていく変化のさきがけとなるヒット曲ですが、これはトムが休養前に正式メンバーとして参加した最後のアルバムでもあるので、必ず演奏されます。マイケルとも関係が悪いわけではないですし。イヴェントがあるときにはよく共演しています。この曲ではキーボードのガイ・アリソンと、ヴォーカルでは再びスカイラークが大活躍しました。

10          Don’t Start Me Talkin’

  「トゥールズ・ストリート」から。これもヒット曲でなくてもライブで重要な位置を占め続けていた曲。そろそろオーラスの雰囲気。

11          Little Bitty Pretty One

 これなど、彼らがライブとレコードは別物だと考えている証拠みたいな曲です。これは彼らはレコード録音していません。でもライブではやります。オールディーズの、ドゥーワップとバブルガムをあわせたみたいな曲なんです。オリジナルはフランキー・ライモン&ティーンエイジャーズ、声変わり前のマイケル・ジャクソンも録音していました。きっと誰もが一度は聴いたことのある曲です。そんな子供っぽい曲で最後を盛り上げます。

What Were Once Vices Are Now Habits

12          曲名省略なし。74年の”What Were Once Vices are Now Habits”(「昔は悪癖だと思ってたものからもう抜けられない」が直訳で、もっと短い邦題があったような気がするけど失念しました)。彼らにとって最初のナンバー1ヒット。だけど元々はB面扱いだったものに火がついた。バイオリンが印象的なゆったりとした曲。ジョン・マクフィーは起用でそのバイオリンも綺麗に弾いてしまいます。サビの歌詞に”Mississippi moon won’t you keep on shinin’ on me”があって、このミシシッピの部分をそのコンサートの場所で言い換えるのがまたお決まりですが、当然 “Nagoya moon won’t you・・・で拍手喝采でした。

キャプテン・アンド・ミー#紙ジャケSHM-CD#

13          Long Train Runnin’

    73年、“Captain & Me”彼らの代表的アルバムの一つなんですけどここでやっと初めて出てきました。これはおなじみの曲でしょう。リミックスも何度もされていますし。

 小生はアメリカにいたとき、この曲と全く同じ経験をしました。コロラド川をラフティングで下っていたとき川沿いの線路に貨物列車がのそっとガタゴトやってきて、その長さにびっくりしました。本当に長い、何両編成だったか、500メートルくらいあったかなあ、しかも何台かの車両に Illinois Central と書いてあったのには、感動しました。

 ここでいったん引っ込んで、アンコール。ここのところアンコールのパターンは決まっているようです。

14          China Grove

続いて“Captain & Me”から。これもアメリカの道を車で走りながらラジオでかかってきたら、なんとぴったりだろう、と思わせる曲ですね。トム・ジョンストンは、おら、お前ら、盛り上がれ、とマジで怒ったような顔をしてステージを縦横無尽に行ったり来たりします。

15          曲名省略なし。またまた続いて“Captain & Me”から。そして最後はやっぱり

16          Listen to the Music

   デビューアルバム「トゥールズ・ストリート」の第一曲目にしてすでに彼らの代表曲となってしまった。

 演奏がぴたっと止まり、ドラムと手拍子だけで “Wow wow, listen to the music, all the time”の、観客を交えて大合唱。おお盛り上がりの末、余韻を残しつつ終了。

 いやあ、音楽って本当にいいですね。みなさん、もっと音楽を聴きましょう。

  折り紙菊ちゃんさん、東京でのコンサートはいかがでしたか?

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2007年1月25日 (木)

Summer of' 78

本年一発目のベストヒットのレビュー。

121日、「サタデーナイトフィーヴァー」のサウンドトラックがアルバムチャートの1位になった日ということで、ビージーズ「愛はきらめきの中に」”How Deep is Your Love”が。

Saturday_night_fever_soundtrack_1克也さんも力説していましたが、1978年いっぱいのビージーズは本当にすごかったんです。どれくらいすごかったかは簡単には言い表せません。この当時、克也さんの番組をかじりついて聴いていたラジオ小僧だった私が、そのラジオから伝わってきたビージーズのすごさの一端を思い出してみようと思います。

まず、それから約二ヵ月後の78318日付のビルボード・ホット100の上位5位はこうなっていました。

1 “Night Fever” Bee Gees

2 “Stayin’ Alive”  Bee Gees

3 “Emotion” Smantha Sang

4 “Lay Down Sally” Eric Clapton

5 “Love is Thicker Than Water” Andy Gibb

1位、2位をそのビージーズが独占していました。「恋のナイトフィーヴァー」はそのサウンドトラックからの3曲目のナンバーワンヒット。この週に1位になり56日まで9週連続の1位となります。2位の「ステイン・アライヴ」は2曲目のナンバー1,24日から25日まで4週連続、このあと415日まで合計12週、トップ10内に居座ります。「愛はきらめきの中に」もこの2週前の34日までトップ10に入っていて、トップ103曲入っていた状態でした。「きらめき」は771224日から7817日まで3週連続1位、トップ10以内は16週留まりました。

Andy_gibb_greatest_hits5位のアンディ・ギブは、ビージーズ兄弟の末弟でした。前77年デビュー曲の”I Just Want To Be Your Everything”「恋のときめき」がいきなり1位になり、この「愛の面影」が二曲目のナンバー1。この前の週まで2週連続でした。この後アンディは夏にアルバム「シャドウ・ダンシング」を発表、標題曲がやはり1位を7週続け、この78年の最大のシングルヒットになります。更に続けて同じアルバムからAndy_gibb_shadow_dancing”An Everlasting Love” “Our Love Don’t Throw It All Away”と連続トップ10ヒットとなります。もちろん全てギブ兄弟作曲。




Destinys_child_1s3
位のサマンサ・サングの「愛のエモーション」もギブ兄弟作曲の曲。今でいう「アメリカン・アイドル」みたいな新人発掘番組から出てきた、オーストラリア出身の歌がうまい女の子で、ビージーズが曲を提供してプロデュース、バックを担当。この曲自体、最近になってビージーズ自身がベスト盤のためにセルフカバーしましたし、ディスティニーズ・チャイルドのカバーヒットでもお馴染みでしょう。

Eric_clapton_slowhand_1これに終わりません。4位のクラプトンもちょっと関係あるのです。この当時ビージーズ一族のマネージメントを引き受けていたのはロバート・スティグウッドという大物で、映画「サタデーナイトフィーヴァー」も製作し、RSOレコード(Robert Stigwood’s Officeの略)というレコード会社も持っていて、当然ビージーズ関連のレコードは全てそこから出ていたのですが、この当時、「スローハンド」の時期はなんとクラプトンもRSOレコードから出していたんですね。つまりこの週はRSOレコードが上位5位を独占したことになります。

Grease_original_soundtrack_1さらにさらに、この77年冬から78年夏にかけて、「愛はきらめきの中に」→”Baby Come Back” Player→「ステイン・アライヴ」→「愛の面影」→「恋のナイトフィーヴァー」→”If I Can’t Have You” Yvonne Ellimanと、771224日から78513日、ほぼ半年もの間、RSOレコードは1位を独占し続けていたのです。この他、さっきの「シャドーダンシング」、あと「グリース」からの、フランキー・ヴァリの表題曲、ジョン・トラヴォルタ&オリヴィア・ニュートン・ジョンの"You're the One That I Want”をあわせると、RSOレコードは78年は52週中30週も1位にいたことになります。

Yvonne_elliman_the_best_ofそのイヴォンヌ・エリマン”If I Can’t Have You”も「サタデーナイトフィーヴァー」からの曲。ハワイ出身の、ほとんど日本人の顔をしてる女の子。クラプトンの”I Shot the Sheriff”でも一緒に歌っていた人でした。


Tavares_anthologyこのほかにもこのサウンドトラックからは、ギブ兄弟の曲としてはタバレス
”More Than a Woman”が中ヒット。タバレスは”Only Takes a Minute” (Take Thatがカバーした)”Heaven Must Be Missing an Angel”なんて、ディスコのヒット曲を飛ばした兄弟グループでした。「モア・ザン・ア・ウーマン」はビージーズ自身もサントラの中でやっていて出来も良かったのですが、タバレスがシングルで売りたいというのでビージーズは気を遣ってシングルカットしなかったという話が残ってますが、今アメリカのラジオではビージーズのバージョンばかりがかかり、タバレスがやってたことはほとんど忘れられているようです。

Trammps_golden_classicsKc_sunshine_band_essentialsこのサントラから他には、Tramps “Disco Inferno” KC & the Sunshine Band “Boogie Shoes”が中ヒットになりました。夏にはサントラからの曲がトップ406曲同時に入っていたこともありました。また奇妙な現象で、78年夏のある週、ビルボード100のうちほぼ3分の132曲のタイトルに”night”という単語が含まれていた、何てこともありました。これも映画の影響でしょう。

Frankie_valli_greatest_hits夏にかけてはRSOがジョン・トラヴォルタ主演で送り出す第二弾、オリヴィア・ニュートン・ジョン競演で50年代に舞台を移した「グリース」が封切られ、ビージーズとしては長兄バリー・ギブがメインテーマ「グリース」を書いてフランキー・ヴァリに提供、8月にナンバー1になります。

Sgtpeppers_lonely_hearts_club_band_sound_2ところがその映画第三弾、ビージーズの兄弟自身とピーター・フランプトンを主役にすえて、ビートルズの曲だけでストーリーを繋げたミュージカル「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」が、彼らの演技がへたくそだったため大きくこけました。ビージーズ関係では、ロビン・ギブがカバーした「オー・ダーリン! 」がちょっとヒットしました。こちらも

Bee_gees_spirits_having_flownビージーズは、78年暮れにオリジナルアルバムとして、”Spirits Having Flown”をリリース、その中から翌79年に、”Too Much Heaven”, “Tragedy”, ”Love You Inside Out”3曲連続のナンバー1ヒットを出すには出しますが、「フィーヴァー」の大成功の陰に隠れ印象が薄くなり、その後長いスランプの時期を迎えてしまいます。

でも、とにかく78年は筆舌に尽くしがたい、音楽だけでなく映画、ファッションを含めての一大社会現象だったんです。

Barry_manilow_summer_of_78ところがタイトルのSummer of ‘78、ちょっと関係の薄いバリー・マニロウの曲。バリーは最近、60年代、50年代の曲のカバーアルバムを立て続けに出しましたが、その企画の第一弾は70年代の曲のカバーアルバムで、この「78年の夏」というのを一曲だけオリジナルで入れていました。

 ラジオから聞こえてくる曲が、全て、僕たちのものだと思えたあの時

バリーも78年夏といえば、ディスコブームに乗って「コパカバーナ」をヒットさせていたときでした。

ビージーズとしても、この78年の大成功の時期は、ディスコミュージックの本舗、見たいな扱いをされましたが、その後の彼らの、コーラス主体の音楽を模索しようとした活動を見ても、彼らがディスコをやったのは一時的なもので、それがたまたまバカ当たりしただけ、自分たちの本領はディスコではない、というのが本音だと思えるのですが。

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2006年12月 1日 (金)

CRY

Police_synchronicity1126日のベストヒットのタイムマシーン(またか!?)、1976年に10㏄からケヴィン・ゴドレイとロル・クレームが脱退した日で、この二人は80年代に音楽ビデオ制作に大活躍するので、その代表作の一つ、ポリス「見つめていたい」がかかりました。

本当はゴドレイ&クレーム「クライ」が彼ら自身の曲でもあるし、映像としても彼らの最高傑作だと思うんですけど。これは約一年前に既に放送されているんですね。実は、読まれはしなかったけれど僕のしつこく出したリクエストが採用されたんじゃないかと思っています。その前に、まだベストヒットが事務所が作っていた地道な地方局向けシンジケート30分番組だった頃の98年年末のリクエスト特集でも採用してもらったことがあります。このときは読まれました。それくらい好きなビデオなんですね。

この10cc、すごいグループでした。

四人のメンバーがいて、四人ともいろいろな楽器の演奏ができて、ヴォーカルも取れて、曲も作れて、後には映像にも才能を発揮する。

Wayne_fontana_the_mindbenders_best_ofエリック・スチュアート。彼は60年代は”The Game of Love”や、フィル・コリンズのカバーでお馴染みの “Groovy Kind of Love”なんかをヒットさせたマンチェスターのWayne Fontana &the Mindbendersにいました。こちら



Hollies_for_certain_becauseグラハム・グールドマン。同じ時代に既にソングライターとして地位を確立していた人で、日本でもヒットしたホリーズの「バスストップ」、他に”Look Through Any Window”、ヤードバーズの「フォー・ユア・ラヴ」(クラプトンはこういう曲を演るのが嫌でヤードバーズを抜けた)、他にハーマンズ・ハーミッツのヒット曲なんかを書いていた。

グールドマンとゴドレイは同級生で、十代の頃モッキンバーズというバンドで一緒に演奏し、ゴドレイと他のバンドで一緒に演っていたクレームも加わった。

最初は、スチュアート、ゴドレイ、クレームというメンバーでホットレッグスというバンドが結成され、”Neanderthal Man”「ネアンデルタール人」というヒット曲が生まれました。原始人っぽいチャントとリズムにビートルズの”A Day in the Life”の大仰な展開が取り入れられている、なんともいえない曲です。

これにグールドマンが加わり10㏄に。平均的男性が一日に分泌するあの液の量、をバンド名にしちゃったという説もありますが、実際はマネージャーが、世界ナンバー1のロックバンドの夢を見て、それがなぜかそういう名前だった、というのが本当の由来だとか。あの液の平均分泌量は実際はもっと少ない?

音楽性が多様で、シュールな芸術性もあればフランク・ザッパ的なグロ、ユーモアも持ち合わせている不思議なバンドでした。

ビートルズの「オー・ダーリン」をモチーフにしたドゥ・ワップの「ドナ」とか。

イギリスでの最初のナンバー1”Rubber Bullets”という、「監獄ロック」のパロディみたいな曲で。

10cc_original_soundtrackそれで何といっても74年から75年にかけての「アイム・ノット・イン・ラヴ」の世界的ヒットが代表曲になるわけですが。

その後のシンセサイザーブームの先駆けになったような、美しい荘厳な曲ですが。

「君の写真を壁にかけてあるけど、汚いシミを隠したいからそうしてるだけで、別に君のこと好きなわけじゃないよ」

「夜中に電話したけど、君を愛してないってことを確認したいだけだから、騒がないでね」

「静かにして、大きな男の子は泣くもんじゃない(Be quiet, big boys don’t cry)

などなど、結局この人は相手を本当は好きなのか嫌いなのか、はたまた男から女に言っているのかその逆なのか、いろいろな解釈ができて謎の多い曲です。10cc_deceptive_brends

10cc_bloody_touristそしてその後、そのゴドレイとクレームが抜けてしまって、スチュアートとグールドマンの二人になってしまった10㏄は、ポール・マッカートニーが書いたって言ってもほとんどの人が信じてしまうくらいクリソツな “The Things We Do for Love”「愛ゆえに」とか、レゲエに挑戦した”Dreadlock Holiday”なんてヒット曲を出しますが。

Paul_mccartney_tug_of_warPaul_mccartney_pipes_of_peaceWax_american_english80年頃解散状態に。その後スチュアートはポール・マッカートニーの80年代前半期のソロ活動、”Tug of War”, “Pipes of Peace”あたりを全面的に支え、グールドマンは、”Lonely Boy”のヒットを持つ西海岸のシンガーソングライター、アンドリュー・ゴールドとWAXというユニットを結成、ウェストコーストサウンドとブリットポップの融合を目指します。

同じ頃、ゴドレイとクレームはデュオを結成、同時に映像も手がけるようになります。

Godley_creme_history_mixその85年の最大のヒット曲「クライ」は、モノクロ、ワンショットで、老若男女数十人の人が登場してひたすら口パクで唄って、その顔がモーフィングでどんどん推移していくという技モノでした。まだCG技術がそれほど発達していない頃なので、人の顔がどんどん変わっていくのは画期的でした。

Michael_jackson_dangerous数年後、マイケル・ジャクソンが”Black and White”のビデオでCG技術を使って同じことをやります。




Godley_creme_imagesその他にも、ゴドレイ&クレーム自身の”Englishman in New York”(スティングとは同名異曲)ではマネキンのオーケストラが出てきたり。

他のアーティストのビデオでもシュールな映像を多数作ります。

ポリス「見つめていたい」は、モノクロですが、青や赤のバージョンもありましたね。

他に同じ「シンクロニシティ」のアルバムから”Wrapped Around Your Finger”では何百本もの蝋燭を立てて。

Asia_1Duran_duranデュランデュラン”Girls on Film”では裸の女の子にドロレスをやらせる。

エイジア「ヒート・オヴ・ザ・モーメント」では画面を16分割して左上から右下に、歌詞に合わせてどんどんシーンを変えていく。

Wang_chung_best_of

ワン・チャン“Everybody Have Fun Tonight”では、かなり前だけどポケモンのテレビで使われて子供たちの視力絵の影響が問題になったフラッシュ効果が使われていた。

フランキー・ゴース・トゥ・ハリウッド”Two Tribes”では、レーガン大統領とチェルネンコ書記長のマスクを被った二人が衆人環視の中で殴りあい、最後は地球が爆発する。ジョージ・ハリソン“When We Was Fab”。ジョージの手が何本にも別れ、ギターを弾きながらまりつきをしたり長く伸びたピアノを弾いたり、最後にはジョージが空中浮揚して上半身がいくつにも分かれていく。

他にもハービー・ハンコック「ロッキット」、ビートルズ「フリー・アズ・ア・バード」などなど印象的なものをいっぱい残しています。

Frankie_goes_to_hollywood_welcom_to_the_

音楽的にもすごい功績を残した人たち。映像面でもこの通りすごかった。

40周年を迎えた円谷プロのウルトラマンシリーズ。その創世記から今尚メガフォンを取られている、知る人ぞ知る実相寺昭雄さんという監督がいらっしゃいますが。

下斜めのアングルから取ったり、輪郭や色をぼかしたり、ナイフに写った光る目とか、宇宙人をアパートの和室に上げて胡坐をかかせるとか、シュールな絵を取る人。

ゴドレイ&クレームの映像は、実相寺さんと同じタッチを感じるんです。

ウルトラマンファンでもあるハリー教授でした。


George_harrison_cloud_nine

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2006年11月24日 (金)

Slowhand

といえばいわずと知れた、泣く子も黙るギターの神様のあの人の冠名。彼の77年のアルバムのタイトルでもある。

 ここの四つ目のボタンの記念すべき最初の記事でもこのタイトルでこの人の話題にちょっとかすっています。彼は速弾きでも手の動きはゆっくり見える。

 反論するわけではありませんが。このあだ名の由来には諸説あるということで。もともと、英語の業界用語では、観客がアンコールでアーティストの再登場を求めて、拍手がそろって、それがだんだんゆっくりになっていく。それをslow handclapという。

Eric_clapton_slowhand 彼の場合、ヤードバーズの時代に、使っていたギターが改造ものであまりいいものではなくて、ライヴの最中でも、一回の中でも数度、弦を切ってしまうことが恒例になっていた。彼はそのたびごとにステージの裏に引っ込んで数分かけて弦を張り替えてチューニングをやり直した。その間観客は、彼の再登場、ライヴの再開を、アンコールのように、ゆっくり拍手を揃えて待ちわびていた。そこから、彼のそのあだ名がついたという。

 昔の11pmの中で、今野雄二さんがやったインタビューの中で彼自身もそういっていましたし、ヤードバーズで一緒だったクリス・ドレイヤもそう証言しています。こっちが本当でしょう。

 でも、ポインターシスターズが放ったヒット曲、クラプトンとは全く関係ない「スローハンド」は、「スロー&セクシー、あの時の手の動きがゆっくりの優しい男が好き」といった曲だったし、その意味もあるのでしょう。

 さて。ここ一ヶ月は彼の話題で持ちきりでしょう。ずっと日本に居座り、全18回にもおよぶライヴの列島縦断ツアーを敢行中。

 私も先週の名古屋公演に行ってきましたのでレポート申し上げます。

 いうまでもなく彼は長い年月にわたって活躍し続け、ヒット曲もいっぱいある。それぞれの年代で特色ある活動をしてきた人。どの時代の彼が好きか、は人によって異なってくる。

 ピーター・バラカン氏は、渋いヴォーカリストとして開眼した90年代の彼が素晴しいと言っていた。

 克也さんは、JJ.ケールの曲なんかをやっていたソロの初期、70年代の彼が好きだと言ってました。

 今回のライヴは、克也さんが好きなクラプトンを好きな人にはたまらない構成になっているかもしれません。

 彼くらいのアーティストになれば、そのときの目的に応じていろいろな構成が可能になってくる。ファンサービスのためにひたすらヒット曲を並べる、新しいアルバムの宣伝のために新しい曲を中心に演る、あるいはそのときの気分で、ある特定のテーマや主張に沿った曲を集めてみる。今回は明らかに最後のパターンだったようです。

 会場が暗くなってから彼が登場するまで少し間があり、その「スローハンド現象」が起こっていました。知っている人は案外多いのかな。

Derek_the_dominos_layla_and_other_assort 最初の曲に面食らった。馴染みのない曲。思い出すのに時間がかかった。なんとTell the Truthというデレク&ドミノスの「レイラ」のアルバムからの曲だった。これ以降もデレク&ドミノスの曲が多く、70年代のレパートリーからの選曲が中心になっていた。

 演奏曲目は以下のとおりです。最初の録音も付記しておきました。多分これで間違いないと思いますが誤りがあればご教示ください。

01. Tell the Truth (Layla and Other Assorted Love Songs, Derek & the Dominoes, 1970)
02. Got to Get Better in a Little While (In Concert, Derek & the Dominoes, 1973)
03. Old Love (Journeyman, 1989)
04. Anyday (Layla and Other Assorted Love Songs)
05. Motherless Children
 (461 Ocean Boulevard, 1974)

06. Driftin' Blues (E.C. Was Here, 1975)
07. Key to the Highway (Layla and Other Assorted Love Songs)
08. Outside Woman Blues (Desreali Gear, Cream, 1967)
09. Nobody Knows You When You're Down and Out (Layla and Other Assorted Love Songs)
10. Running on Faith (Journayman)

11. After Midnight (Eric Clapton, 1970
12. Little Queen of Spades (Me & Mr Johnson, 2004)
13. Pretending (Journayman)
14. Wonderful Tonight
 (Slowhand, 1977)
15. Layla (Layla and Other Assorted Love Songs)
16. Cocaine
 (Slowhand、この2曲はメドレーで)

(アンコール)
17. Crossroads (Wheels of Fire, Cream, 1968)

Eric_clapton_me_and_mr_johnson このように「レイラ」のアルバムから5曲、他デレク&ドミノス時代が1曲、「ジャーニーマン」から3曲、「スローハンド」から2曲、他70年代の曲が3曲、クリーム時代の曲が2曲、一番最近の録音としては Me& Mr. Johnsonから1曲。


Eric_clapton_461_ocean_boulevard_1

 大阪では I Shot the Sheriffも演ったそうです。しかしこれは、「ワンダフル・トゥナイト」同様、日本のファン向けのサービス目的の選曲であって、今回の大きなテーマとは直接関係ないでしょう。

 今回の彼は、彼のルーツであるブルース色を前面に出したかったのでしょう。

Eric_clapton_journeyman お馴染みの80年代、90年代の大ヒット曲はほとんどない。その時代からは、やはり一番ブルース色の強かった「ジャーニーマン」からの選曲が多かった。

 

Cream_the_very_best_of_1クリーム時代の曲も、「ホワイト・ルーム」でも「サンシャイン・オヴ・ユア・ラヴ」でも、なく、ブルースの曲から。アンコールの「クロスロード」も、彼のボックスセットや彼が主催したギタリスト・フェスティヴァルのライヴDVDのタイトルになっていたりするが、実はオリジナルはブルースのロバート・ジョンソン。クラプトンが10代のときに聴いて人生が変わったという、今なお敬愛してやまないミュージシャン。04年に念願だった彼へのトリビュート・アルバムを発表しており、そこかJjcale_and_eric_claptonroadto_escondidoらも1曲。Eric_clapton

70年代からのお馴染みの曲は、ソロ第一弾シングルの「アフター・ミッドナイト」と、「レイラ」とのメドレーで演奏された「コカイン」。これは両方とも、そのJ.J.ケールの作品。やはり敬愛してやまない人物。クラプトンの発表されたばかりの最新CD Road to Escondidoは、そのケールとの完全なデュエットアルバムになっています。

Eric_clapton_ecwas_here 曲の間には彼は、メンバー紹介を除いては「コンバンハ!」とThank Youしかいいませんでした。MC、曲紹介一切なし。ぶっきらぼうな感じもしましたが、それも演出の一つなのかもしれません。

 そのかわり、ライヴの時間じゅうずっと、時に激しく、時に絡みつくようなギターが流れます。ヴォーカリストとしてより、ブルース・ロック・ギタリストとしてのクラプトンの凄さを改めて認識できるライヴでした。

 今週は東京公演の真っ只中ですか。12月半ばまでツアーは続きます。ネタバレなんて思わないで。雰囲気や大体の流れは変わらないと思いますが、場所や日によって選曲や曲順を微妙に変えているようです。数回行かれる方もいらっしゃるでしょう。じっくりスローハンドを堪能してきてください。

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2006年10月27日 (金)

Bo Diddley is Jesus

U2_rattle_and_hum1022日ベストヒット、タイムマシンで、“Rattle and Hum”「魂の叫び」のアルバムがイギリスのチャートで一位になった日ということでかかった、同名ドキュメンタリー映画からのU2「ディザイア」。


Kt_tunstall_eye_to_the_telescopeまだまだ記憶に鮮明の今年のヒット曲。今アメリカでは日本、イギリスと逆の順序で“Suddenly I See”が上がってきていますが、アメリカでの顔見世大ヒットとなったKT・タンストールの “Black Horse and the Cherry Tree”。僕もお気に入り、個人的に大プッシュ。

George_michael_faithワム!再結成を表明したジョージ・マイケル。去年の自伝映画での再会がきっかけになったのかな。今のところのソロの最大のヒット、85年の“Faith”

Neil_sedaka_laughter_in_the_rain_the_bes60年代のスターだったニール・セダカが長い停滞時期を経て75年に「雨に微笑を」で大復活しましたが、それに続く同年の全米ナンバー1ヒットの “Bad Blood”。エルトン・ジョンとのコラボでした。



Ace_frehley78年暮れ、KISSのメンバー四人全員がいっせいにソロアルバムを発表し、ジャケットも、一人一人の顔のアップで同じ、という企画がありました。その中で、メンバーの中では最も目立たない存在だったリードギターのエース・フレーリーがシングルで最大のヒットを出しました。イギリスのハローというグループのカバー、“New York Groove”

だんだんマイナーになってきてますか?

Eric_clapton_461_ocean_boulevard来日が待ち遠しいクラプトン。オリジナルはブルースのジョン・オーティスでしたが、“461 Ocean Boulevard”のアルバムの中で“I Shot the Sheriff” と一緒にカバーした “Willie and the Hand Jive”。ベストアルバムにも収められました。



Bruce_springsteen_born_to_runブルース・スプリングスティーンの75年の出世作、「明日なき暴走」“Born to Run”からのアルバムカット、“She’s the One”



Guns_n_roses_appetite_for_destructionGuns N’Roses、“Appetite for Destruction”の中からシングルにはならなかったけど人気のある“ Mr. Brownstone”

Kenny_loggins_yesterday_today_tommorrow__2最後は意外なところで、というか一番関連性が低いからなのですが、ケニー・ロギンスのご存知「フットルース」。同名サントラからの84年ナンバー1ヒット。




脈絡なく曲が並んだようですが、実は以上の曲は重要な共通点を持っています。

さて、なんでしょう?

これらの曲、リズムが同じ部分があるんです。

並んだ曲の数からわかるように、ロックで最もよく使われるリズムの一つです。

ジャ・・ジャ・・ジャ・・・ジャンジャン~

字じゃ分からないなあ。音符で表すにも変換ができなくて限界があるんだけど、♪を16分音符、/16分休符と考えて、♪/////////X/、みたいになるはずです。どれでも曲を思い浮かべるのが一番。二曲思い浮かべたら、ああ、似てるな、と思っていただければ。

このリズムはボー・ディドリー・シャッフルと呼ばれます。

Bo_didley_his_bestもちろん人の名前。ボー・ディドリーはロックの生みの親、ブルースからロックを分離した最初の世代といわれる人。

南部ミシシッピの出身。プレスリーと同時期に活躍した人で、55年には黒人として初めてエド・サリヴァン・ショーに出演しました。

彼自身の曲で有名なヒット曲があるわけではありませんが、とにかくそのスタイルで多くのアーティストからリスペクトされている。

86年にロックの殿堂入り。

Who_magic_busThe Whoも“Magic Bus”というシャッフルを使っている曲があるし、ライヴでボー・ディドリーのカバーを必ずといっていいほどやっている。

U2の「魂の叫び」も、成功した彼らの音楽的ルーツを探るドキュメンタリーであり、ボブ・ディランやBB・キングらと一緒にやっていた。そこに「ディザイア」が納めらえているのも、彼らのボーに対するリスペクトの現れでしょう。「ディザイア」は、荒いギターのストロークにハーモニカをかぶせる形で、ボー・ディドリーを忠実に再現していたといえます。

KT・タンストールも、この間のベストヒット出演で、あの曲はボー・ディドリーに捧げる意味もあった、と言ってました。

90年代、南部からのオルタナ系で活躍していた Jesus and Mary Chain にも“Bo Diddley is Jesus”というトリビュートソングがある。

同世代がどんどん他界していく中で、78歳の彼は存命です。去年はハリケーン・カトリーナの被害救済ライブにも登場した。真っ赤な派手な服、ハットにに大きなメガネ、相変わらずの風貌でした。

最近は曾孫にも囲まれ、信心に生きているようです。彼自身が神に近づいた?

彼ほど、一つのスタイルが後続のアーティストたちに影響している例はないでしょう。

この次はどんな曲が出てくるか。


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2006年6月 8日 (木)

Atlantic Crossing

おお、久々に物騒ではない清清しいタイトルだ。

64日のベストヒットUSAのタイムマシーンのコーナーではナック「マイ・シャローナ」、ブロンディ「コール・ミー」が立て続けに流れました。Knack_get_the_knack

ナックは、79年夏、克也さんの「ポップタウンエキスプレス」という月金帯番組(本人も忘れてるかもしれない)でほとんど毎日かかってた思い出があります。


Blondie_paralell_lines

ブロンディは、二回前にも書いたように、新たにトッド・ラングレンを迎えた新生カーズと一緒に全米ツアー中。


この二組を繋げるのは、番組の中でもおっしゃっていた、マイク・チャップマンという男。Exile_greatest_hits_Nick_guilder_city_nights

先般の拙稿に対して克也さんがコメントを下さっていた通り、プロデューサーとして78年にエグザイル”Kiss You All Over”、ニック・ギルダー”Hot Child in the City”と立て続けにナンバー1ヒットを出し、79年もナックや、ブロンディの「恋の水平線」というアルバムをプロデュースして、その後も時代のリズムを作っていった人。

http://radiobaka-archive.cocolog-nifty.com/bakabaka/2006/02/happy_together.html

カタカナ表記だと、同じ時代の大事件、ジョン殺害犯と一字違いになってしまい、損してるんじゃないかなあと思ってました。Sweet_the_best_ofSuzi_quatro_back_to_the_driveSmokie_the_best_of

オーストラリア生まれの彼は70年代にイギリスで仕事を始め、Sweet, Mud,あとスージー・クワトロなんていうグラムロックの生き残り、あとソフトなところではSmokieなんていうグループを手がける。そういえばこのスモーキーのリードシンガー、クリス・ノーマンとスージー・クワトロという異色の組み合わせのデュエットヒット曲で “Stumbling In”というのがあったけど、こうして考えてみるとこの二人を会わせたのはマイク・チャップマンだったんだなあ。

このような、プロデューサーなどの裏方さんにこだわってみることも、音楽パラノイアの醍醐味であるわけですが。

今回もう一人話題にしたい裏方さんは、Tom Dowd

彼に関して、伝記映画「トム・ダウド-「いとしのレイラ」をミックスした男」を観てきたばかりですので、リポートしたいと思います。

東京圏在住の、小生の親戚筋に当たる音楽パラノイアの諸兄姉におかれましては、何を寝ボケた事を言ってる?そんな映画もう4月にやってとっくに終わってるぞ!とおっしゃるかもしれませんが。それが地方都市の悲しさでして。名古屋では今、しかも一週間だけやっているんです。近隣ではまったく上映されない更に不便な場所もあるかもしれません。遅くとも観られる。幸せです。

このトム・ダウドという人の名前は、僕がレコードを最初に買い出した頃から名前をよく観ていて憶えていて、その後音楽には待っていくうちにますますいろいろなところで名前に出くわし、すごい人だとは思っていましたが、この映画を観て、想定していた以上にすごい人だったのだなあ、と感慨を新たにしました。

異聞でしたが、1925年、音楽一家生まれの彼は、大学で物理学を専攻し、なんと、原子爆弾を最初に研究開発した「マンハッタン計画」に下っ端の研究者として参加していたという。

1940年代から機械と音楽の知識を生かし録音業に携わるようになり、全ての楽器の演奏をマイク一つで一発録りするのが当たり前だった時代に、一つ一つの楽器の前に別にマイクを立てて、8トラック多重録音の走りを始めたのは彼だという。Otis_redding_the_very_best_ofAretha_franklin_the_best_of

アトランティックレコードを中心に活動し、レイ・チャールズ、MJQ,ジョン・コルトレーンといったジャズの大物の録音のエンジニアリングに始まり、50年代から60年代にかけてはコースターズ、ドリフターズ、ベン・E・キング、オーティス・レディング、アレサ・フランクリンといったアトランティックソウルの名盤の録音にほとんど係わることになる。Cream_the_very_best_of

ロックにも係わり始めた。彼は技術屋だけではなく、あらゆる音楽に精通していて、ある曲のほんの人フレーズを聞かせただけで全て言い当てられたという。クラプトンとの親交も始まり、クリーム “Sunshine of Your Love”のドラムスはアフリカのリズムを取り入れようと提案したのはトムだった。Allman_brothers_band_at_the_fillmore_eas

Mから始まる地名に縁のある彼は、マンハッタン、マイアミから70年代にはサザンロックのメッカだったジョージア州メイコンにも移り、オールマン・ブラザース・バンドなどとも仕事をする。当時ブルースやサザンロックに傾倒していたクラプトンを、レコーディング場所が一緒だったからとデュアン・オールマンに引き合わせたのもトムだった。彼がいなければ、デレク&ドミノスのあの布陣もなかったんだ。Derek_the_dominos_layla

僕はこの映画の日本タイトルは、「いとしのレイラ」は日本でよく知られていてアイキャッチャーになるからつけられたのであって、トムにとって「レイラ」は最高の仕事ではない、もっと他にある、と思っていましたが、映画を観て、予想以上に大きな仕事だったのだなと思いました。録音からほぼ30年経って、当時の音源からミックスダウンを実演するのがこの映画のハイライトになっています。天才ギタリスト二人がツインでリード、リズムギターごちゃ混ぜに絡み合い、これにドラムス、ピアノも絡むあの多様なトラックを一つにまとめるのは、やっぱりトムの技術と勘あったればこそ可能だったのでした。Lynard_skynard_essential

やはりトムがプロデュースしたレイナード・スキナード「フリーバード」の最後の、テンポが速くなってギター、ピアノソロになっていく部分もモデルになったのは「レイラ」でした。



Rod_stewart_atlantic_crossing_1Chicago_13

その後もミート・ローフ、ファイアフォール、シカゴなども手がけます。ロッド・スチュアートの70年代後半の最も乗っていた時期の一連の作品も担当し、その中に75年の、「セイリング」を含むAtlantic Crossingがあります。大西洋横断、という意味ですが、アトランティックレコードとともに歩んできたトムを一言で表すにもぴったりのタイトルです。

最近のものでは、やはり同日のベストヒットUSAにも登場したPrimal Screamもやっていました。2002年に他界してしまいましたが、最後まで、最新の録音技術をも貪欲に吸収した現役であり続けました。

この映画一本観るだけで、ロック、ソウル、そして録音技術の歴史に相当精通できます。まだこれから封切られる地域の方々にも、それからDVDになることがあったら、お勧め。

マイク、トムを含め、僕たちに名盤を届けてくれる全ての裏方さんたちに乾杯!

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