Boulevard of Broken Dreams
グリーンデイだと思うでしょう? ところがどっこい。
モバHo!導入でレギュラーで聴けるようになったもう一つの克也さん番組、DJ Koby’s Radio Showもネタにしていきましょう。
9月22日にアーカイヴされたのは、トニー・ベネット。
本年81歳。
去年80歳を記念して製作されたアルバム、「デュエッツ」でトニーと一緒に歌ったのは、 バーブラ・ストライザンドが一番、活動期間の長さ、音楽的ジャンルが近いとして、ほかはみんな畑違い。ベテランでは、エルトン・ジョン、ポール・マッカートニー、ジェームス・テイラー、 スティービー・ワンダー、ビリー・ジョエル、エルヴィス・コステロ、スティング、ボノ、ジョージ・マイケル。90年代以降のスターでは、ディクシー・チックス、K.D.ラング、ティム・マグロウ、セリーヌ・ディオン、マイケル・ブーブレ、ジョン・レジェンドなどなど。
普通この手の企画なら、オケが最初にとられ、それが互いに顔を合わすことなく、別々のスタジオでヴォーカルを入れたものを編集で繋ぎ合わせる。80年代のポール・マッカートニーがスティービー・ワンダーやマイケル・ジャクソンとやったやつ、似たような企画だとフランク・シナトラの生前のデュエット・アルバムもそうやって作っていた。
ところがトニーはこの製作では、デュエット相手がいるところなら、東海岸、西海岸、イギリス、ヨーロッパ、「追いかけます、お出かけならば、どこまでも」のザ・ベストテン生中継方針を貫いた。長年バックはこの人たちとしかやらないというラルフ・シャロン・トリオを引きつれ、アーティストのいる場所に押しかけて、オケを最初にとるやり方ではない、生演奏をバックに録音するという昔ながらのスタイルで作った。彼はコンサートでも、語りかけと歌を交える特徴がありますが、それがそのままCDで再現されている。”Stevie, wonderful”みたいなシャレを交えた掛け合いとか。デュエットパートナーに選ばれた若手たちは、こんな録音の仕方は初めて、と新鮮さに緊張したという。
そう、彼は昔からスタイルを変えようとしない。
そのスタイルは、一度は音楽業界から見放された。でも最近、なぜかまた求められ始めた。
ペリー・コモのテレビショーからスターダムに登った彼。音楽の師匠はデューク・エリントンなど。すごい世代だ。
60年代には一年にアルバム3枚発売のペースを続け、ヒット曲も量産した。
代表曲はなんといっても「想い出のサンフランシスコ」でしょう。
ところが、ロックが全盛になり、音楽も多様化してきた70年代、彼のスタイルは時代遅れとなり、レコード契約も切られてしまう。
この時期、私生活でも泥沼離婚を経験し、麻薬漬けになってしまった。この時期のことについて、彼は語りたがらない。
それでも、子供にとってのよい父親として手本にならなければならないとの意識から、麻薬からは抜けられたという。
そして90年代、スタイルは変わらないまま、再び脚光を浴びることになります。
93年の、フレッド・アステアのカバー「ステッピン・アウト」ではプロモーションビデオに初挑戦し話題となり、アルバムもヒットし、若い世代のファンを開拓した。
また少し時期はこれより後になりますが、ロッド・スチュアートの「アメリカン・ソング・ブック」三部作の成功など、その他もロックアーティストがトニーの世代の曲をカバーしたり、またマイケル・ブーブレやジョシュ・グローバンなど、トニーと同じジャズっぽい「クルーナー」を自称する若いアーティストが出てきたことも追い風になったのでしょう。
95年にトニーは「MTVアンプラグド」に出演しCDも発表、グラミーの最優秀アルバム賞も受賞し、ますます若い世代のファンを獲得しました。
80歳を超えて発表した「デュエッツ」からも判るとおり、若い世代からのリスペクトも並々ならぬものがあります。
そんな彼、現在はニューヨーク、クイーンズ地区の自分の育った地域を一望できる高層マンションで、40歳以上年下の恋人スーザン・クロウさんと、趣味の絵を描きつつ悠々自適のようです。まさに「グッド・ライフ」(彼の代表曲の一つです)なんでしょうね。
そうそう、それで、Boulevard of Broken Dreamsとは、1950年のトニー・ベネットのデビューヒットなのです。もちろんグリーンデイのものとは同名異曲。でも歌詞には同じフレーズが数箇所あります。グリーンデイのやつは、このトニーの曲ではなく、それ以前、1930年代にそういうタイトルの映画だか小説だかがあってそこからインスパイアされたのだといっていますが、トニーのその曲も結局出所は同じ、ということなのでしょう。
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