ダイアナ・ロス

2007年3月15日 (木)

Abraham,Martin & John

Bobby_dvd 三回続けて映画ネタです。克也さんもここのところ、スター・チャンネルにやたら出まくっていることですし()

今回は「Bobby」。

ボビーというのは、ジョン・F・ケネディ大統領の弟、ロバート・ケネディのことです。

兄の大統領は196311月、テキサス遊説中に暗殺され、20世紀最大の事件の一つとして記憶される。



Bobby_soundtrack ケネディ家は、4人いた兄弟全員に大統領を目指す教育をしたような、アメリカの貴族。弟ロバートも兄の選挙運動を手伝い、当選後は兄の政権で司法長官に、33歳の若さで就任し、マフィア撲滅なんかに活躍し、米ソ全面核戦争の瀬戸際だったキューバ危機など外交政策でも兄の右腕となって活躍した。(こちらも。「小林克也のRadioBaka」  期限切れ遺失物移管所: My Way

兄が死んでしまった後は上院議員に転じ、そして1968年、貧困問題やベトナム戦争反対を掲げ、兄の足跡を追うべく大統領選に出馬した。ところが彼も、6月、カリフォルニア州の予備選挙で勝利した直後、凶弾に倒れてしまう。

ところがこの映画の主役は彼ではありません。それどころか彼はほとんど出てきません。動く部分は髪型がそっくりな人物が出てきますが顔は映りません。演説などは実際の当時の記録映像が流れます。暗殺犯はサーハン・サーハンというパレスチナの青年でしたが、映画には名前もクレジットされず、暗殺の瞬間に一瞬登場するだけです。ロバート・ケネディの伝記映画でもなければ、暗殺の謎解きでもありません。というか、主役が存在しない映画、といってもいいでしょう。

舞台はその暗殺があった日、現場となったロサンジェルスのアンバサダーホテルです。登場人物はそこのホテルで働いている人たちや偶然集まった人たちです。普段は生活も環境もばらばらの人たちがたまたま歴史的事件が起きる日、場所に呼び寄せられるように集まった。

電話交換手と浮気しているホテル支配人とその妻(ウィリアム・メイシー、シャロン・ストーン)、従業員としては引退したけどまだホテルに愛着を残している老人(アンソニー・ホプキンス、ハリー・ベラフォンテ)、歳の離れた女性と結婚して関係がうまく言っていない東海岸の富豪(マーティン・シーン、ヘレン・ハント)、変化を期待してボビーの選挙運動員となった青年、それに麻薬を売るヒッピー(アシュトン・カッチャー)、兵役から逃れる理由作りで余り好きでなかった同級生と式をホテルで挙げることになっていた若いカップル(エライジャ・ウッド、リンジー・ローハン)、ホテルでショーを開くことになっている売れない歌手(デミ・ムーア)、人種問題を語り合う厨房で働く黒人やメキシコ人のシェフたち(ローレンス・フィッシュバーン)、ボビーにインタビューを申し込もうと粘っているチェコスロバキアの女性記者、などなど。

観て最初に思ったことは、去年観た三谷幸喜氏の「有頂天ホテル」によく似ているなということでした。ホテルを舞台に、従業員やら客やらがいろいろな事情を抱えて絡み合うところがそっくり。「ホテル」では、それらが大晦日大パーティーで全てが繋がってきて喜劇だったのですが、「ボビー」は、ロバート・ケネディ暗殺という悲劇に収斂するのが大きく違う点でしょうか。

Diana_ross_supremes_where_did_our_love_g さっき主役なき映画、と書きましたが、強いて主役を上げるなら、1968年という時代そのものかもしれません。ベトナム戦争泥沼化にまつわるテト攻勢事件やソンミ村虐殺事件、黒人の公民権運動、暴動の激化、マーティン・ルーサー・キング牧師の暗殺、ヒッピー運動、民主党大会の大混乱、ニクソン大統領の登場、チェコスロバキアの「プラハの春」革命とソ連軍による弾圧、それらが全て起こった年でした。上に挙げた登場人物は、それぞれどこかにその背景を背負っています。それらがやはり、本命大統領候補の暗殺という象徴的大事件で、点が線となって結びついてくる。

Stevie_wonder_i_was_made_to_love_her そしてこれは、現在のアメリカにも結び付けられるのかもしれません。イラク介入後の混乱で閉塞感満ちている今、大統領候補として有力視されているのは、ロバートと同じ、前大統領の縁者で、ニューヨーク州から選出された落下傘候補*のヒラリー・クリントンです。

Moody_blues_days_of_future_past 音楽も、やはりその「主役」の68年を後押しする曲でいっぱいでした。ほとんどがモータウンの曲で、スモーキー・ロビンソン&ミラクルズ「トラックス・オヴ・マイ・ティアーズ」、ダイアナ・ロス&シュプリームス「カム・シー・アバウト・ミー」、スティーヴィー・ワンダー “I Was Made to Love Her”,マーヴィン・ゲイ”Ain’t That Peculiar”など。ロックっぽいところではムーディ・ブルースの「火曜日の午後」。サイモン&ガーファンクル「サウンド・オヴ・サイレンス」も、無断でドラムが入れられてポール・サイモンが怒ったというヒットしたヴァージンではなく、アコースティックギターのみのオリジナルのヴァージョンで、重要な場面に登場します。

Dion_abraham_martin_john 今回のタイトルに選んだ曲は映画とは関係ありませんが、ロバート・ケネディを歌った曲。「浮気なスー」など、アイドルとして売り出したDion,60年代後半にシリアスなシンガーソングライターに転進し、暗殺された解放者たち、リンカーン大統領、キング牧師、ケネディ大統領に捧げて、「僕の友達だった彼らがどこに行っちゃったか知らないかい?多くの人たちを救ったけど、突然消えてしまったんだ」と歌い、タイトルには出てきませんが、最後にボビーが登場します。

今週で公開が終わりになってしまうところが多いみたいですが、いかがでしょう?

*落下傘候補 ニューヨーク州出身ではないのに、その州の人口の多様性を当てにして立候補した余所者。

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2007年3月 8日 (木)

Someday We’ll Be Together


二回続けて映画レビューで行きましょう

今回は『ドリームガールズ』

Dreamgirls_soundtrack現在封切られている中では一番話題でしょう。豪華キャスト、80年代に大ヒットしたブロードウェイミュージカルの映画化、映画自体もミュージカル仕立て、アカデミー賞多数ノミネート。観られた方も多いと思います。


Diana_ross_supremes_where_did_our_love_g_1ダイアナ・ロスとシュプリームスの成功物語が題材で、登場人物はその周辺のモータウンレコードの実在の人物が全てモデルになっているということで、実際のモータウンの歴史と、映画のプロット、登場人物を比較してみましょう。

モータウンレコードは映画ではレインボーレコードとなっています。場所はデトロイトで同じ。映画では白人にも人気の出るポップなR&Bを目指すレコード会社が強調されていたので、人種の架け橋としての虹という含みもあったのでしょう。

ジェイミー・フォックス演じるカーティス・テイラーJrという人物は、モータウンの創始者ベリー・ゴーディJrで疑いなし。デトロイトの自動車ディーラーから身を起こした設定も同じ、自動車業界で培った組織統率力を導入し徹底した管理体制のマネージメント方式を取り入れていたのもそっくり。

Holland_dozier_holland_heaven_must_have_キース・ロビンソン演じるCC・ホワイトという作曲家は、ブライアン・ホランド、ラモント・ドジャー、エディ・ホーランドというソングライターチーム、シュプリームスの一連のヒットを筆頭に初期のモータウンらしい曲を連発して作って、モータウンがデトロイトからロサンジェルスに本拠地を移転する際にはゴーディと袂を分かってデトロイトに残る。そんな彼らをミックスした存在でしょう。映画ではエフィの兄ということになっていますが、実際にはこの3人の中で兄妹にガールシンガーがいたという例はないようです。ただ、ブライアン・ホランドはシュプリームスの前にマーヴェレッツに肩入れしていた、というのが少し気になります。

Diana_ross_marvin_gaye_diana_marvinエディ・マーフィ演じるジェームス・サンダー・アーリーは、エディのキャラからは意外ですが、実はマーヴィン・ゲイでしょう。映画のドリームスが「ドリーメッツ」としてジェームスのバックアップコーラスからスタートしたのは、シュプリームスがマーヴィンのバックをやっていたのと同じ、ディーナとジェームスがデュエットで録音しますが、マーヴィンとダイアナも You Are Everythingとかデュエットヒットがある。カーティスと音楽上、マネージメントで意見が合わなくなり麻薬に溺れる、そして悲劇的な突然の死。映画でのジェームスほどではありませんが、マーヴィンもモータウン創世記は明るいポップなレコードを残しています。

そして物語の中心はドリームス。もちろんシュプリームスですが、映画ではドリーメッツからドリームスに名前を変えている。シュプリームスはプライメッツというグループ名でスタートしていた。レコードデビューするときに名前を変えるよう言われて、いくつか候補があったが、唯一…ettes(女の子グループ、の意味)で終わっていなかったので「シュプリームスを選んだという。

ビヨンセ演じる主人公ディーナ・ジョーンズがダイアナ・ロス。彼女がベリー・ゴーディと恋仲だった事実もあり、映画のカーティスとディーナの関係もそれを彷彿とさせます。スターダムにのし上がっていくディーナにカーティスは映画でクレオパトラの役をやるように説得しますが。実際にダイアナ・ロスが初主演したのはジャズの「ビリー・ホリディ物語」でした。女王という点では同じようなものか。

Diana_ross_diana_ross_2        Diana_ross_diana_1                                                                                  70年代後半になってディーナはディスコクィーンへと変貌します。ダイアナも、ドナ・サマーほどではありませんでしたが、76年の “Love Hangover” 78年の”The Boss”とディスコ色の強い作品を出しており、80年にはシックのナイル・ロジャースをプロデュースに迎えて”Upside Down”なんかを出しています。しかし実際にはこの時期ダイアナはシュプリームスから完全に独立していました。69年の”Someday We’ll Be Together”「またいつの日にか」を最後に脱退しますが、シュプリームス自体はダイアナ抜きで78年まで活動を続けます。

ディーナはもともとバックで、ジェニファー・ハドソン演じるエフィがリードだったのが、ステージに立つ上でのルックスを考慮してカーティスはディーナをリードに据える。実際でも、最初、シュプリームスではマリー・ウィルソンがリードだったのがダイアナに替えられています。ただしこのマリー・ウィルソンはシュプリームス結成から消滅まで一度も脱退しなかった唯一のメンバーです。映画ではローレル・ロビンソンという、ディーナと最後までドリームスを共にするメンバーが出てきますが、エフィとローレルはマリーの二つの側面を分けた存在だったのでしょう。

Destinys_child_1s_1ネタバレで、最後「ドリームスは本当は4人でした」と、ディーナ、ローレル、エフィに代わって加入したミシェルの3人に加えて、リードを終われて自暴自棄になって脱退したエフィが戻ってきますが、実際のプライメッツ、つまりシュプリームスも元々は4人でした。マリー以外は出入りがいろいろあり、3人で成功したのです。そしてこれは奇しくもビヨンセのいたデスチャにも当てはまります。4人だったのが3人になってから大成功した。

実際と比較してみるといろいろありますがつまらないことです。楽しいミュージカル映画として理屈抜きに楽しめます。

Diana_ross_the_supremes_stop_in_the_name_1映画の中の曲も、シュプリームスの曲だったらあの曲にあたるのかな、といろいろ考えられて面白いです。解散を決めたステージで歌う”Hard to Say Goodbye”は、ダイアナ脱退前最後の”Someday We’ll Be Together”「またいつの日にか」なのかなあ、とか。

ジェニファー・ハドソン、祝、アカデミー助演女優賞受賞。アメリカン・アイドルでは歌唱と迫力で勝っていながらも「ルックス」で時点に甘んじたとか。存在感で主役を食っています。何事もあきらめちゃいけない。

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2006年12月22日 (金)

Disco Strangler

またベストヒットネタに戻って。

Kiss_dynasty17日のタイムマシーン。1980年にKISSのドラムス、ピーター・クリスがバンドを脱退した日ということで、79年のヒット “I Was Made for Loving You” 邦題「ラビン・ユー・ベイビー」がかかりました。

キッスがディスコに挑戦。それが彼らの代表曲になっちゃって、今、日本のコマーシャルで子供たちがあのメイクアップをして替え歌を歌ってる。

考えてみればキッスというバンド、その次にヒットしたのが76年の「ベス」という曲で、そのピーターがリードを取った、というか一人で歌った、バックはストリングスとピアノのバラード。

メンバーでピアノを弾けるのは一人もいなかった。この曲をライブでやるときは他の三人は引っ込んで、ピーターもドラムから離れて一人で歌う。

ハードロック、といっても結構、ポップ性、コード進行やハーモニーを重視していたようなところもあったし。

それでも広く知られた代表曲が本筋からはなれた曲ばかりで、やや損をしていたのかもしれません。

この70年代の後半、確かdisco bandwagonという言葉がありました。

ポール・マッカートニー&マイケル・ジャクソン「セイ・セイ・セイ」のビデオを覚えている方は思い出していただければいいんですけど。

昔、ドサ周りの興行一座はワゴン車で移動していて、それがある村に賑やかにやって来たら、子供がわっと寄ってってきて、その車が移動するところ、みんな付いていって、過ぎ去った後はもぬけの殻になる。

それで、bandwagonとは、勢いに乗る、悪く言えば、便乗、を意味するようになったのですが。

この70年代末、ディスコブームに便乗して、それとはかけ離れているはずのアーティストがディスコに手を出して、いろいろな記録を残しています。キッスのみにあらず。ちょっと思い出してみましょう。

Joe_tex_aint_gonna_bump_no_moreDiana_ross_diana_ross_1ダイアナ・ロス “Love Hangover”

Joe Tex "Ain't Gonna Bump No More (With No Big Fat Woman)"

確かディスコブームの最初の頃はファンクとの境があいまいで、黒人音楽の一部と考えられていた節があり、アフロヘアーにスタイルが代表されていたのがそれを物語っている。それでもこういうR&Bのベテランがディスコに手を染めたのは大きな話題となった。

Thelma_houston_the_best_ofHarold_melvin_the_bluenotes_the_best_ofともに76年のヒット曲。ダイアナ・ロスのは、「マホガニーのテーマ」に続いて全米ナンバー1になった。ドナ・サマーを意識したかのようなイロッポイ内容、バラードからディスコビートになっていく。ベースラインは、ハロルド・メルヴィン&ブルーノーツ、後にテルマ・ヒューストンがカバーして翌77年全米1位になる”Don’t Leave Me This Way”のパクリ。

ジョー・テックスは、ラップの元祖かもしれない。途中からイスラム教に改宗するが、元々ゴスペルの味のあるR&Bも歌っていた。それがディスコに行っちゃった。82年逝去。

ローリング・ストーンズ「ミス・ユー」

Rolling_stones_some_girlsサタデー・ナイト・フィーヴァーからの曲がラジオを席巻していた78年夏、ストーンズがニューアルバム「女たち」を発表したが、そこから鳴り物入りで出てきたシングルがこれだった。ストーンズもディスコか、と、キッス同様、古いファンを引かせてしまった。でも全米一位になった。ミックの妻ビアンカのことを歌っていた。

バリー・マニロウ「コパカバーナ」

バーブラ・ストライサンド「メイン・イベントのテーマ(ファイト)」

同じく78年夏。こういうエンターテイナー系もディスコに走っちゃった。

Barry_manilow_even_nowBarbra_streissand_essential_270年代後半だけに限ればソロアーティストとしては最もレコードを売ったバリー・マニロウ。甘ったるいバラードの大ヒットを連発していた。タモリが一時期さだまさしを嫌っていたように、そういうのがだめな人たちからは徹底的に嫌われてもいた。「マニロウがラジオでかかったらブレーキ踏んでやる」なんてバンパースティッカーも流行った。

「コパカバーナ」も現在、数年前プロ野球チームを買い取り、最近は携帯電話に参入していろいろ問題を起こしているあそこのCMに使われているのでお馴染みでしょう。

曲の内容はストーリーがあって、ハバナのクラブの踊り子とバーテンダーの悲恋物語になっているんですけど。これのダンスヴァージョンは完全な16ビートにアレンジされていた。これでグラミーの最優秀男性ヴォーカルを受賞した。

バーブラも、あの高い声でのスタンダードのようなバラードが有名で、映画がらみですがディスコに手を染めて、トップ10ヒットになった。この翌年にはドナ・サマーとので湯えっと、16ビートの “No More Tears” で一位にもなる。

ロッド・スチュアート「アイム・セクシー」

Rod_stewart_blondes_have_more_fun79年頭。ロッドも16ビートに行ってナンバー1になった。さびの部分は、ブラジルのタージマハールそっくりだというので盗作問題にもなった。

ロッドはストーンズフォロワーで、さっきの「ミス・ユー」を聴いて、自分もディスコをやりたいと考え、この曲を思いついたという。

元々彼は音楽のスタイルを柔軟に変える人なので、それほど不思議なことではないのかもしれないが。でも時期を考えると・・・商売商売。

ポール・マッカートニー&ウィングス “Goodnight Tonight”

Paul_mccartney_all_the_best79年夏、ポールまでやっちゃった。

一応、歌い方とか、ベースラインとか、ポール節になってたんだけど。彼までやる必要があったのかな。ディスコでかかったときは、踊る人の好き嫌いがはっきり分かれたという。トップ10ヒット、ミリオンセラーになったが、ウィングス名義としては最後のスタジオ録音になった。

エルトン・ジョン “Victim of Love”

Elton_john_victim_of_loveこれは知られていないかもしれない。なんとエルトンもディスコをやっていたのだ。

今まで挙げたものは、それぞれのアーティストのスタイルからかけ離れているという意味で、異色、汚点の曲ばかりだったかもしれないが、エルトンの場合は売り上げ的にも見事にコケた、正真正銘の「汚点」である。

80年中ごろのリリース。77年あたりからスランプといわれていた。作詞の相棒バーニー・トーピンと一時期はなれていたことも原因だが、70年代の全盛期をともにしたプロデューサーのガス・ダッジョンと分かれたのも大きかった。いろいろな試行錯誤が続き、ここではなんとドナ・サマーを手がけたピート・ベロッティを迎えて、レコードA,B面ノンストップのディスコアルバムを出してきた。

エルトンは後に、このときはやらなければならなかったことだ、と語っているが、ディスコブームが消えようとしている時、なぜやったのか理解に苦しむ。彼のキャリアの中で最も売れなかったアルバムになった。

シカゴ “Must Have Been Crazy”

Chicago_13_1同じ時期にシカゴもやっていた。シカゴも、オリジナルメンバーのギタリスト、テリー・キャスがピルトル暴発事故でなくなって以来スランプで、試行錯誤を繰り返していた時期だった。シカゴ13のアルバムより、ディスコが唯一音楽に貢献したことは録音技術を向上させたことだ、と言って、自分たちでも挑戦した。トップ40にも入らず最悪の結果になる。彼らの復活はビル・チャンプリンが加入しデヴィッド・フォスターをプロデューサーに迎える、シカゴ1681年まで待たされることになる。

Eagles_long_runタイトルのDisco Stranglerはイーグルスの最後のスタジオ録音アルバム「ロングラン」の中の曲。タイトルを見たときは、え!?イーグルスもディスコ?なんて思ったけれど、ビートはちょっと意識したところはありますが、ちょっとツェッペリン風の、ディスコの虚栄を歌った曲。

考えてみれば、ブームの中心にいたビージーズも、本当にディスコと呼べるものを作っていたのは彼らの長いキャリアの中ではほんの3,4年の間だった。他のアーティストとは違って一曲のみではなかったけれど、彼らにとっても、便乗だったのかもしれない。

ディスコブームそのものが虚栄でバブルだったのでしょう。

メリークリスマス!

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2005年12月22日 (木)

Why Do Fools Fall in Love?

タイトルはいつもの通りに戻します。

B000001fqy01_sclzzzzzzz_  日曜日の「今日は何の日」で二週連続で、「火の玉ロック」のジェリー・リー・ルイスが、13歳の従姉妹と再婚して、しかもそれが前妻との婚姻が継続中で重婚となり二重三重の問題になったという話題が登場しました。

 直接は関係ないかもしれませんが。

 ポップス史上最大の重婚問題、かどうかは知りませんが、思い出したのは、フランキー・ライモンの話。

 ちょっと思い出があって、以前のZIP Hot 100では克也さんが自由にオールディーズを選曲するKatsuya Remembersというコーナーがあって、このFrankie Lymon the Teenagers 1956年(半世紀前だ)のヒット曲“Why Do Fools Fall in Love?”を克也さんは大好きだということで選曲したのが、放送では間違って別のドゥワップの名曲、シルエッツの”Get a Job”が流れてしまって(ありがちなオールディーズのコンピレCDだったのでしょうね)、その半年後に僕がリクエストして蒸し返してやっと正しくかかった、なんてことがありました。

B000005mwv01_sclzzzzzzz_  ティーンエイジャーズという名のとおり、フランキーが若干13歳の時に放った歴史に残る名曲。

 フランキーの話もジェリー・リー・ルイス同様、映画になっていて、その名もやはり“Why Do Fools Fall in Love?”。主演は今をときめくハル・ベリーでした。

 フランキーは1968年に薬物中毒で早世してしまうのですが、その後90年代になって、その曲の作者としてフランキーはクレジットされているが実は曲は作っていない、と他のメンバーに訴えられて著作権をめぐる裁判になってしまいます。

B000001u3p01_sclzzzzzzz_  その過程で、彼の妻だった、と主張する女性が三人も、やはり著作権料相続を狙って名乗り出ます。“Why Do Fools Fall in Love?”「恋はくせもの」という曲はもはや81年のダイアナ・ロスのカバーでしか知らない世代の弁護士が活躍します。

 フランキーは若くて歌もうまかったので女性にもてたようで、その方面ではだらしなかったのでしょう。その時々に付き合っていた女性にそれぞれ求婚し、そんなことになってしまいます。彼女たちはそれぞれ付き合っていた時で別のフランキーの側面を見ていました。一人はティーンアイドルとして絶頂期にいて浮かれていた彼、別の一人はその絶頂期から挫折を経験してソロとしてのカムバックに真面目に努力していた彼、最後の一人は薬物に溺れてどうしようもなくなった彼、という風に。このあたりも、ショウビジネスの世界の盛者必衰の理を見るようで、やるせなくもあります。

B000000ql001_sclzzzzzzz_  この三人には奇妙な友情が生まれてしまい、誰が勝っても取り分は山分けしよう、という約束ができます。ところが最終的に正統相続者と認定された最後の妻が欲を出し、約束を破り独り占めしてしまいます。更にところが、結局は裁判の費用なんやらで相続分はほとんど残らなかった、という落ちが付きます。まさに「なぜ愚か者どもは恋に落ちる?」

 裁判ではフランキーの友人としてリトル・リチャードも証言台に立ったようで、映画でも本人が本人の役で登場しました。

B0000cg8i701_sclzzzzzzz_  あと、ZIPでもベストヒットUSAでも取り上げられていましたが、18日が誕生日だった、アニマルズのメンバー、ジミヘンのマネージャーだったチャス・チャンドラーは、67歳の誕生日、ではなく、96年に心不全で逝去していました。

 皆様、本年はありがとうございました。ハッピークリスマス。

阿南教授の博識を毎週堪能。阿南クラスのパラノイアに会ったのは、坂本龍一、大滝詠一、山下達朗、音楽評論家の桜井ユタカ、かまち潤と言った人々。-小林

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